コロナ一斉休校で兄弟喧嘩に思うこと。「仲良くしなさい」とは二度といわないと心に誓った日。
コロナ休校により、自宅で過ごす時間が増えたせいか兄弟喧嘩は半端ない頻度。
うるさい。
兄弟は、リモコンを奪い合いながらテレビを取り合う。(2台テレビあるのに)
兄弟は、コンテンツ争いをしながらipadを使いあう。(2台ipadあるのに)
兄弟は、同じものが目の前に2個あれば「それ」に興味を示すことはない。
兄弟は、喧嘩しないようにと親が二倍の値段を出して購入したおもちゃに見向きもしない。
兄弟は、ひとつしかないものを奪い合う。
兄弟は、相手の選んだアイスを食べたがる。
兄弟は、相手がもっているものを羨ましがる。
兄弟は、親が自分にかけてくれたであろう教育費を計算し比較することがある。
兄弟は、親が自分にだけしてくれたことよりも、親が自分にだけしてくれなかったことを覚えている。
兄弟は、親亡きあとに相続争いをする。
兄弟はそうやって、生涯とおして、我慢し続け、理不尽を学び、叶うことと叶わない願があることを知る。それでいい。
よく考えてみたら、人間なんてそういうものだし、そういうものだからこそ競争社会がうまれ経済の発展があり、その先に慈善が生まれる。
「勉強しなさい」「勉強しなきゃだめ」
「練習しなさい」「練習しなきゃだめ」
それと同じなのではないかと気付いてしまった。
コロナの休校のおかげで。
「仲良くしなさい」「仲良くしなきゃだめ」
。これって親の都合ですね。
勝ち負けという概念がなぜこの世界にあるのか?
本来わたしたちだれもがもっている「承認欲求」がこの世界にはあふれている。
そして欲求がなければ文明は止まる。
兄弟喧嘩、うんざりする。
不幸な家族の姿そのものである。
でも本当にそうなのか?
兄弟喧嘩をするということは、この世界で起きていることが凝縮されているだけであり、それは止めても意味をなさないか、むしろマイナスに作用するのかもしれない。
そして本当に仲の良い夫婦が存在しないように
本当に仲の良い兄弟も存在しないのかもしれない。
仲が良い夫婦は「好きだから、仲良く過ごす努力をしている」夫婦のこと。
大人になって兄弟仲良くなったというのはそれぞれが相手の立場にたてるようになり、自分にとって利益があるから仲良くする努力ができる。
行ってみたいライブがあるけど友達とは気づかれする。ひとりでは行く勇気がない、兄弟を誘うのがベストな選択だと気づく。
毎日おかあさんに外に追い出され、食事も与えられない兄弟は、たぶん、仲が良い。
仲良くしないと生きていけないからだ。外で食事になりそうなものを探す、居場所になりそうな場を探す。それはひとりではできないから。
毎日あたたかいおうちの中でお母さんがあれこれ世話してくれて、生きることに不便をしない不足なき子にとって兄弟は「欠かせない存在」ではないのだ。
兄弟が好き なのと 兄弟が必要 はまったく別の話。
好きだけど、喧嘩するのは当たり前。
めぐまれている証拠。
兄弟なんで仲良くしないのか?と悩み、検索しまくるのを今日で終わりにしよう。
喧嘩ばっかりするのが自然な姿。
やめなさい は 逆効果。
家が壊れるから止める
けがするから止める
でも
仲良くしなさい って願うのは本当にやめてしまおう!
そのほうがなんだか気楽になれそう。
この休校期間に実験!
なにか変化が起きるかもしれないし起きないかもしれない。
こちらでまた記事にできるかな。