神経質で完璧主義なママにとっては男の子育児はイライラの連続で大変!!

次男が動けるようになってからが本当の年子育児!男児 年子兄弟(2012年2013年生 1歳3ヶ月差 千葉主婦)育児のイライラする日常、母の限界をつづります。限界の先にみた育児グッズたちは私の救世主となりました。~自称完璧主義ママによる執筆。心身限界の先で見つけた育児用品と時短家電と自分の体力とメンタルについて考えていくブログ。

やっぱり年子男子は大変!!長い年月ブログを更新できなかったリアルな理由

前回更新したのは幼稚園に通っていたときでした。今はもうすぐ小学校2年生、小学校1年生になろうとしています。なぜこんなに長い期間更新できなかったか?・・・

理由は・・・育児は楽になるどころか、ますます大変になっていったこと

です。

賢くなるにつれ、また新たな子育てステージへ突入し、自主的に宿題をしてもらいたい、習い事のこと、友達との約束のこと、週末の過ごし方、なにもかも本人たちの意思が中心になってきたため、幼少期のような親主導の家族ステージではなくなりました。子供は幼児から児童となり、身体はちっさいが、完全に人権を獲得し、家族の一意見を述べる存在としてそこにいます。もうこちらの思惑通りにはいかないわけです。

このような存在の位置が変わっていく、発達していくその過程が年中さんから年長さんにかけての時の経過があったわけです。

私も夫もその期間は戸惑い、兄弟間での衝突が四六時中おこり、振り回され、たくさんの夫婦喧嘩になりそうな場面もありました。

ですが、それぞれ年長さんになると、ぐっとひとりの人間である感が強くなり、こちらもすんなりとそれを受容できるようになりました。

 

いままでは親が主導だったのに振り回され、、、迷走、戸惑う、親子関係がおかしくなっている!不安・・・というステージから、ひとりの人間として家族の一員として共に生きる存在へと変化、すると、子供は次から次へといろいろな姿をみせてくれるようになりました。

 

そして今、新たなステージ

ひとりの人間として共に過ごす彼らと私。さて、どのように過ごし、私は何をしたらいいのか?今まではミルクや離乳食を与え、着替えをさせ、生きることへの手助けをしてきた。なにを自分がすればこの子が生きていられるか、めちゃくちゃ大変ではあるが親が今やってあげるべきことが見えていた。しかし、成長とともに、親は何をするべきなのか?がよくわからなくなっている。

 

今ここ。

 

 

心配しすぎはよくない

過干渉はよくない

だけど、心配するのも親の仕事なんだろうし、見て見ぬふりをしながら、子供の行動を逐一気に掛けるのも親の仕事なのかもしれない

 

 

なんとなく見えていることの一つは、自分の将来をそろそろ考えようってことです。

子供は親の干渉から逃れていくだろうし、親も子供を自立させていく時期がくる。思春期は遠いように思えるが、中2で真っ盛りという場合、13歳。あと5,6年の話です。もしかしたら、いまどきの子はもっと早くに自立したい葛藤を迎える可能性だってある。あと4、5年かもしれない。

 

その時期は親も子も非常に不安定になるという近所の高校生のままの話を聞きました。みんなそうだよ、大変だよ、と。

 

ということは、その反抗期に自分自身も新しく何かにチャレンジしようという計画は私には難しいだろうと思う。だって年子だし。ダブルだし。きっと必死に毎日イキテルと思うので。(笑)

 

 

今のうちに自分自身に目を向けていくということ。

自分がポジティブにいきていれば、子供は親のそういう姿をみて自然とそういう風になるのでは、と思う。

自分がネガティブなら子供もネガティブに。

こどもってミラーニューロン溢れてるから、強くもあるし繊細でもあるし、タフだったりする。子供の今の姿は自分の姿でもある。もちろん大人にもミラーニューロンは溢れている。家族みんなで映しあっている。共存しているのだから。でもそこにはそれぞれの境界がしっかりなければ依存になってしまうのではないかと思う。

 

子育てって大変です。二人同時に育てるって本当にしんどい。

でも、ひとり減らすわけにはいかないし、どちらがかわいいとかそういうことでもない。ただ毎日を生きてゆくだけ。

習い事や学用品、学費、外食費、文房具、給食費、将来の貯金、なにもかもを二人分蓄えなければならない。今かかっている生活費も二人分かかっているというのに。宿題みるのも二人分。

この時期になると一人っ子のママが羨ましくなったり、離れたお姉さんやお兄さんがお手伝いしてくれる年の差兄弟を羨ましくなったり、愚痴愚痴とまらなくなる場面もあります。

だけど、そう思ったところで時間の無駄だし、それは自分の人生では諦めること。羨ましいという気持ちを受け入れる。そして、自分が年子の子供を授かれた喜びに気付くこと。ないものねだりな自分も、いまある人生によろこべる自分もどちらも自分の感情であることに気付き、今日もここに生きてゆく。ただそれだけ。

 

 

 

 

最近かなしかったこと

家族ででかけても子供が二人ともママ!ママ!となり、パパに近づかない。パパだけ自由行動。その状況になんだか胸がいっぱいになり帰りの車で泣きながら切れてしまった。夕飯とか私はもう考えないから!!!!決めて!!!!作って!!!!こんな私でみなさんごめんね!!!!!!

 

と。

 

最近うれしかったこと

子供には感情を素直にだしてほしいと思ってきた。幼稚園年中からひねくれて何を考えているのかわからない。思っていることと逆のこと言ったり。最近は私が泣いたり怒ったり、感情をその場でだすことを自分自身で受容したので、なんでも見せるようになった。それ自体うれしいこと。

 

今までは自分の感情は抑えて、我慢して、そのほうがまるく収まると思い込んできた。

最近、怒りや悔しい泣き、子供の行動が理解できないときや起こりすぎて涙が出てくるときはじゃんじゃん泣きながら怒鳴る。育児が大変になるにつれ、抑えられなくなり、自然とこうなったのです。意識してたわけではなく。

そうなったら、つい最近ですが、子供のおかしな夢の中の出来事を聞いたとき、笑い過ぎて本気で笑い泣きしました。

女子高生のときみたいな感覚。

何十年もそういうのなかったのに。

 

 

で、不思議なことに私がそうやって感情をぼろぼろ出すようになったから、子供も戸惑い情緒不安定になるのかな、やばいかも・・・って不安もあったんですが、不思議とそういうことはなかったんです。結局、子供って親を観察する能力半端ないのですね。

私が感情を抑えていても心の中で泣いてる、怒鳴ってる、そんなのオミトオシだったんだろうと。

子供は泣くこと自体が減りましたがそれは成長に伴っての時期的なものだと思います。怒り方は変わってきました。年中のときみたいなややこしいいじけ方や陰険な兄弟喧嘩、親子喧嘩ではなく、わかりやすくなりました。

 

そうしようと思って私が感情を外に出すようになったわけではないし、子供の変化も意図していたことではない。

 

 

 

まとめると子育ては

 

なるようになる

なるようにしかならない

どうにかなる

どうにかする

どうにかできる

 

っていうことだって思いました。現時点(小学生)では。

 

高校生のママさんは「小学生のうちにこうしておいたほうがいいよ!もう後悔だらけ!」とかいろいろあるようですが。

 

 

こどもにしてあげられることなんて、究極、子供をこの世界に誕生させることだけ。ですね。

同じ習い事をしていたって、同じ部活をしていたって、同じ会社に入ったとしても、どう捉えて、どう活かすか、どう生きていくか

は自分が決めるんですから。

親の影響やまわりの影響も少しは関係するかもしれないけど、その人の人生はその人にしか決められない。そして親は子供の人生に口を出す権利などない。子供に振り回される人生を選ぶ必要もない。